小細胞肺癌の闘病記

小細胞肺癌の闘病記と情報共有です

2017-01-01から1年間の記事一覧

11/25 10時ごろ

昨晩からのモルヒネ投与で、すっかりはなしもできなくなっておりました。 朝も目をしっかり覚ます事はありません。 朝食も食べることはできず、この時の母を見た時に、この状態がいつまで続くのか。 不安にもなりました。 頭からの汗が止まりません。何度か…

11/24 朝

朝はなかなか、起きれませんでした。 しかしうすらうすら、起きるとカーテンを開けてといいました。 カーテンを開けて、少し外の空気を入れました。 意識は、まだ全然ありました。しっかりとまではいかないものの、食事をとるとか、薬を飲むとか、身の回りの…

11/23 夕方から夜

夕飯も、半分ほど食べていました。 腹は減らないよ、だけど食べとかなきゃなといっていました。 オカズにまで箸が進まず、白米を半分は食べていました。 ふりかけをかけていたら、あと一口くらい箸が進んだのかと、思いました。 意識のある母と一緒に食べた…

11/22 昼

昼ごはんを半分くらい食べてくれました。 歩く元気はなかったと思います。 肺の苦しさより、肝臓からのだるさの方が上回っている感じです。 午前中から、午後にかけて兄弟の方々が見舞いに来てくれ、対応もしっかりしていました。

11/23 朝

朝9時に、母にメールを入れました。 これから行くから、1時間くらいでつくよ。 いつもなら、返信が来ます。 その日は、電話が来ました。 メールなんか、やってらんないよ。 早く来いよ。今、〇〇が来てるんだよ。 気をつけて来いよ。 声が元気そうで、それが…

11/22 緊急入院②

今思えば、当日夜に、母に怪しまれても会いに行って病院で一晩でも多く過ごせば良かったという後悔です。 この日は、モルヒネの投与もなく、比較的話す事は出来たのだろうと思います。 一人で、心細かっただろうな。 メールの返信もない。打つ気力体力がない…

11/22 緊急入院①

前日に、訪問看護の観察がありその時にはもう、自力で立つのがやっとだなというくらいでした。 11/19に母と会いました。私の誕生日プレゼントを買ってくれていました。 今思えば、気怠い中、よく歩いて買い物をしてこれたなと思います。 11月の二週目以降、…

11/23-11/25 逝去まで

私が病院へ到着したのは、11/23の10時ごろでした。 リアルタイムに、自分なりの日記をメモしました。数字だけのところは、日にちか、時間です。あえて、訂正しません。 緩和ケアを選んだため、あっという間でした。 この間の詳細は私個人の思い出のようにな…

逝去

2017/11/25 14:00ごろ、 母が逝去致しました。 改めて、最後の入院から死去までは記入していきます。 また、このブログから個人名、故人など推測出来る方もいらっしゃるのかもしれませんが、関係する方々、静かに見守って頂ければと思います。 当初、このブ…

食事の大切さ

口から物を食べるのは、ダイレクトに体の栄養になります。 気持ち悪くならない程度に、食べてもらってください。 転移しやすいです。 主に、脳、肝臓に転移すると、かなり厄介です。緩和を選択しないのであれば、よりそこは重要かと思います。 体に負担のな…

小細胞肺癌の患者様のご家族様へ

小細胞肺癌は、発見時に既にステージ4なのが普通のようです。 なにをしてあげられるのか、やれることの選択肢はとても狭い癌です。 私は個人的に、治験に該当するなら積極的な治療も進んでやっていただきたいですし、諦めずに治療に励むことも、余命宣告を受…

11/22 再入院

11/22 16:30 妹からメールが入り緊急入院になりました。 つい前日まで帰省していたので、心底動揺しました。 私は住まいの横浜から、更に奥の名古屋に仕事で行っており妹から詳細が聞けたのは、18時30過ぎでした。 結果は、一日単位の命だと考えて欲しいと言…

未治療での生存

9月末に、これ以上の延命や治療を希望しないことを確定させてからの母のことについて書きます。 2度目の抗がん剤の副作用は初回より酷いらしいということ、効果は初回よりないということから、未治療を選択しました。 追加された薬は、経口のモルヒネです。 …

吐血

10/11の朝、いつものように朝の電話をした際、普段より多く吐血したというので診察日ではありませんでしたが午後から緩和のドクターに診察してもらえることに。 大事を取り、私も急遽翌日から二日間実家へ。 治療をしていませんから良くなる訳はなく、まして…

治療をしない選択

家族、母と相談の結果、 本来出来る治療をしないという選択に至りましました。 わたし個人は、治療して、長く生きてもらえるならと思っていました。 副作用に悩む母、母の日々を知っている妹。 離れたわたしは、蚊帳の外です。 わたしの元にいても、母の面倒…

働きながらの看護、看病について

現在、私は母の住まいとは別の県で働きながら、お見舞い、母に会いに行っています。 今年40になりますが、営業職正社員の管理職をしながらの介護は、自分の年もありますし、 2時間の移動、休みごとの帰省、仕事と両立がしんどいこともあります。 かといって…

9/27 主治医面談

今までお世話になった主治医の先生の最後の診断です。来月から移動されてしまうとのこと。 前回、抗ガン剤ワンクール終了後、すこし良くなって居た癌が、ワンクール終了後一カ月で、肝転移、肺に水、肺の縮小と予後が良くない状態になっていましたが、 本日…

母の食欲

もともと、160センチ、60キロの母は、健康的で滅多に大病にもならないタイプで体力もありました。 抗ガン剤中は、食欲も落ちたらしていましたが、頑張って食事はしっかり取ってもらうようにしていました。 ここ最近、食べすぎると内臓が押されて体調が悪くな…

次回 9/27の主治医面談

何度かブログにあげています。 信頼していた主治医の先生が月末に異動になります。 その前に、長女の私との面談を入れてくださいました。 わたしは、最後まで母に癌と闘ってもらいたいきもちが半分。 なにもせずに、最後を迎えるのも半分。 正直、わからない…

母と妹家族で地元のかき氷に来ました

天然氷に、手作りイチゴシロップ。

9/23.24.

お休みの三連休で帰省しました。 見た目は思ったほど弱っていない母。 おそらく、久しぶりに私が行くから、元気にしてくれてんだろうと思います。 東京駅からバスで、一時間ほど。 バス停付近に母と妹が待っていてくれました。 妹の自宅から200メートルほど…

9/22 本日の母

離れて暮らしているので毎朝電話をします。 昨日今日と、やや体調も良いみたいですが、おそらく一日のうち、数時間が体調がいいようです。今後は対処と緩和がメインになってくるのでしょう。 幸い転移による痛みは、まだ少ないとの事です。 寒さ暑さが繰り返…

9/20 1ヶ月検診

本日、抗ガン剤ワンクールからの、2回目の検診でした。 ワンクール終了後、ガン細胞の縮小といわれたのが、8月下旬から9月上旬。 そして、そこからひと月も経っていないのに、 肝臓転移、肺に水が溜まる、気管支の圧迫。 またもや、絶望。 涙しか出ない半日…

9月14日現在の様子

毎朝、離れて暮らしているので電話をします。 母の様子は元気な頃と変わりません。 最近、アマゾンで甘味料が少ない無添加の甘酒を購入して飲んでもらっています。 サラリとしていて、まだ二歳の姪も飲めるほどの味わいだそうです。 何が効いてくれているか…

治験不参加の決定から現在

沢山の方に読まれていること、ありがとうございます。 結論から申し上げると、治験へは不参加という選択肢に至りました。 母の状況からすると、治験に参加出来る判定は合格を頂いていましたが、 1/3で、プラセボ(偽薬)に当たってしまうという事。 抗ガン剤治…

小細胞肺がんの治験について

8月半ばに、人類の不思議みたいなテレビ番組で、新薬の特集をしていました。その段階でそのテレビをぐうぜん目にしていましたが、母は横浜市内でやる気はなさそうでした。 治験サイトの方へ、現況を報告したところ、その番組の事を話してくれました。 あれ以…

改めて治験へ向けて

母の住まいは茨城です。 今回の治験は千葉県なので、横浜に来るよりは遥かに楽です。 今週中に、そちらの病院へ行き、治験参加の最終判断になります。

恵まれていた環境

現在の担当医も、快く、治験の為のデータ、紹介状の準備も速やかにやっていただけたこと。 治験場所の選択肢が増えた、横浜市内の担当医と、治験コーディネーターさん。 なによりも、地元の町医者から直ぐに、大きな病院を紹介され細胞診をしてもらえたこと…

治験について

たまたま、出会いが本当に恵まれていました。 横浜市内の病院のDr.と、治験コーディネーターの方が、地元近くで受けられるように手配をしてくれました。 それなら、通院などの負担も、住みなれない横浜に来るよりは減るであろうから。 私は、自分探した治験…

治験に迷う気持ち

7月末に、治験予定であった、横浜市内の病院に行きました。 予想より、通院、入院が多く 母としては私の負担を考えてか、気乗りしない様子でした。 やっても、絶対治るという保証もなく、副作用もあるかもしれない。 怖い気持ちと、勧めている私の気持ちと、…