小細胞肺癌の闘病記

小細胞肺癌の闘病記と情報共有です

緩和ケア②

緩和ケアという選択は、今の日本では、尊厳死に近いところにある唯一の選択肢なのかなと、思います。

改めて、ご本人の小林麻央さんの闘病記事を読んだり、他の人の意見を読みました。

真央さんも積極的な治療をしていませんでした。

https://ganjoho.jp/public/cancer/lung/print.html

分かりやすい、肺癌のサイトでしたので転用致します。

9月、10月、11月の亡くなるまでの間、

飲み薬のモルヒネも処方されていましたが、なるべく母は飲まないようにしていた感じです。

それでも、毎週通い会うたびに、

声の力強さが減ってきたり、やや、ろれつが回っていないかな?という、時もありました。

母は、緩和ケアという選択肢を、痛みのない治療だと考えていたのかもしれないし、

投薬もされていたので、わたしも、そういう治療なんだと思っていましたが、

今思うのは、

本人の意志を尊重して、最期を楽にして見送るお手伝いなんだと思っています。

治療をしないのが、緩和ケア。

それが今の認識です。

 

積極的な治療を望んでいた私の当時の気持ちとは、今では考え方の幅が広がりました。

 

今思う事は、

 

私自身が、もう助からない命だと理解していたなら、緩和ケアもありだなということです。

 

私は、家族として、新薬の治験という選択で、

1日の命が3日にのびたのならと、

 

治験=人体実験ということを、私の中では正しい事だと理解しています。

 

治験をしてくれたから、いま、こんなに簡単にも薬が買えて、特に日本では、医療をしてもらえてると思っています。

 

過去に、治験をしてくだって、身を呈して新薬と向き合ってくださった方々に心から感謝をしています。

 

また、余命宣告の通り、約6ヶ月で亡くなった事を思うと、

 

5月から8月の抗がん剤治療も、時間的には母に無駄な時間を1人で、我慢させていたのかなと、今思います。

 

それは、母がとても元気で、肺癌だと言われても最後まで、タバコを吸い続け、ご飯も食べられる元気があったから。

 

入院などしたくない、抗がん剤もしたくないと言っていたのに。

 

もっと、母の好きな時間を過ごして貰えたら良かったのかと。

 

まだまだ、自分の中で母の死を受け入れられていないのでこのブログを更新する度に、そんな自分と向き合うことになるため、なかなか更新出来ずにおります。笑。

 

この様なブログでも、なにか、誰かに役立っているのなら嬉しいなぁ。