小細胞肺癌の闘病記

小細胞肺癌の闘病記と情報共有です

逝去

2017/11/25  14:00ごろ、 母が逝去致しました。

 

改めて、最後の入院から死去までは記入していきます。

また、このブログから個人名、故人など推測出来る方もいらっしゃるのかもしれませんが、関係する方々、静かに見守って頂ければと思います。

当初、このブログの目的は、珍しい小細胞性肺がんについての、積極的な治療であったり、標準治療であったり、娘としての私の立場から、

同じような環境のご家族も諦めず、病気と向き合っていくために、なにか、役立てばなと思い始めたことでした。

母、その他家族、親族はこのブログの存在を伝えていません。

ですので、静かに見守ってくださると、助かります。

 

食事の大切さ

口から物を食べるのは、ダイレクトに体の栄養になります。

気持ち悪くならない程度に、食べてもらってください。

転移しやすいです。

主に、脳、肝臓に転移すると、かなり厄介です。緩和を選択しないのであれば、よりそこは重要かと思います。

体に負担のない範囲で検査はこまめにされることをおすすめします。

小細胞肺癌の患者様のご家族様へ

小細胞肺癌は、発見時に既にステージ4なのが普通のようです。

なにをしてあげられるのか、やれることの選択肢はとても狭い癌です。

私は個人的に、治験に該当するなら積極的な治療も進んでやっていただきたいですし、諦めずに治療に励むことも、余命宣告を受けて、受け入れて緩和ケアを選択して、残された時間を家族とともに、過ごしたり、やりたい事をやるのも大切だと思います。

残された時間が、少ない分、濃い時間を過ごして欲しいと思います。

11/22 再入院

11/22  16:30  妹からメールが入り緊急入院になりました。

つい前日まで帰省していたので、心底動揺しました。

私は住まいの横浜から、更に奥の名古屋に仕事で行っており妹から詳細が聞けたのは、18時30過ぎでした。

結果は、一日単位の命だと考えて欲しいと言われた現実です。

年内、年越し、春先、、、などと考えていた私はあまりに呑気でした。

もしかしたら、母の体力があれば。

これだけ、しっかり食べてくれていれば。

でも、やっぱり医学は医学で凄いですね。

当初の予定通り、持って年内。

母との一緒の時間のラストスパートです。

もう一回、しっかり話してよ、お母さん。

 

未治療での生存

9月末に、これ以上の延命や治療を希望しないことを確定させてからの母のことについて書きます。

2度目の抗がん剤の副作用は初回より酷いらしいということ、効果は初回よりないということから、未治療を選択しました。

追加された薬は、経口のモルヒネです。

副作用で嘔吐があるようですが、モルヒネのおかげで深夜の咳が少し楽になっているようです。

モルヒネ=麻薬みたいな怖いイメージから、飲むのを嫌がっていましたが、

緩和ケアのドクターと看護師さんから丁寧な説明をうけ飲むようになりました。

母の受信は、これからは基本的には緩和ケアの外来が主になります。

たまたま、今の病院は緩和ケア病棟も外来も充実していましたが、

未治療を、選択するならばここの部分が充実していて、臨機応変に対応してくださる病院をさがすことをお勧めします。

緩和ケア外来は半月に一度の通院で、通院の度に、採血とレントゲンです。

結果により、緩和ケアや、呼吸器と両方のドクターが診察や処置にあたってくださいます。

母の場合は、運もあります。

運だけに任せるわけにもいかないですから、似たような環境の方がいらしたら、緩和ケア病棟に力を入れている病院は見学には行かれるのをオススメします。

吐血

10/11の朝、いつものように朝の電話をした際、普段より多く吐血したというので診察日ではありませんでしたが午後から緩和のドクターに診察してもらえることに。

大事を取り、私も急遽翌日から二日間実家へ。

治療をしていませんから良くなる訳はなく、ましては進行の早い小細胞癌、どのくらい早く悪くなるのかは、母の体力次第です。

バス停まで迎えにきてくれていた母は、やはり一月まえよりは小さく見えるし、激やせとまではいかなくても、背中や足、肩が痩せたなと思います。本人は少し痩せたほうがいいからと半分喜んでいますが、心配です。

私が実家にいるときには、気分がいいのか食事もいつもより食べているようです。

口から食べられなくなると、みるみる痩せていくから、とにかくなんでも食べてもらう!!

母の兄が数年前に、肝臓癌で亡くなった際の顔色を思い出します。

目の力がなくなってきて、痩せてきて、口元の元気が無いのが印象的でした。

年寄りだからとかではなく、60代でも70代でも、健康じゃない人の口元。

母も同じです。

月末から、来月の一週目まで会社からお休みを頂きました。介護休暇です。

 

治療をしない選択

家族、母と相談の結果、

本来出来る治療をしないという選択に至りましました。

わたし個人は、治療して、長く生きてもらえるならと思っていました。

副作用に悩む母、母の日々を知っている妹。

離れたわたしは、蚊帳の外です。

わたしの元にいても、母の面倒を見きれる状況がないこともあります。

それでも、母は今日も元気です。

なにより、口から食事をとれていること。

その努力だけはつづけていてくれていること。

月末、横浜のわたしの家に、体調が良ければ一週間ほど滞在する予定です。

母は、電話でそういう楽しみがあれば頑張れるしね。と、言っていました。

母の命は、一日、一週間、1ヶ月の、積み重ねです。

月末、こちらまで来れますように!!